世界の切手 モンゴル国 Stamp from Across the World, Mongolia
モンゴルの旅行会社はがき/Mogorian Tourism co.,s Postcard
モンゴル国 wikiprdiaより
1922年12月にソヴィエト社会主義共和国連邦が成立してから2年後の1924年、ボグド・ハーンの死去にともない、世界で2番目の社会主義国家であるモンゴル人民共和国が成立した。同時に首都のフレーはウラーンバートルと改名された。時にコミンテルンは「極左路線」を推し進めており、モンゴル人民共和国でも1928年のモンゴル人民革命党第七回党大会において右派を追放し、1930年には旧王公・仏教僧侶・裕福な牧民の家畜没収、遊牧民の強制的集団化、反宗教運動、下級僧侶の強制的還俗、個人商業の禁止などをおこなった。この結果モンゴルの家畜数は1930年の2300万頭から1932年の1600万頭に減少した。1932年、そんな共産化に対しての不満が一挙に爆発し、親ソ政策を取る革命党政府に対する反乱が起こった。また1939年、満洲国の関東軍とモンゴル人民共和国との間で国境線を巡るトラブルが起き、日本軍とソ連の赤軍が軍事介入して日本側が敗北を喫したノモンハン事件が起きる。第二次世界大戦においては1945年8月8日のソ連に続く8月10日に対日宣戦布告を行い、ソ連軍と連携したモンゴル人民軍(ザバイカル戦線)が日本軍(関東軍、駐蒙軍)と元寇以来の戦火を交え、モンゴルは内モンゴル東部から西部までほぼ占領して戦勝国となる。満州国のモンゴル族代表だったボヤンマンダフやジョンジュルジャブ・カンジュルジャブ兄弟は関東軍に従わずソ蒙連合軍に投降し、蒙古聯合自治政府のデムチュクドンロブ(徳王)と李守信は中国の北京で駐蒙軍と離れ後にモンゴル人民共和国に逃れることとなった。8月15日に日本が降伏した後、ソ連が捕獲した日本兵捕虜はモンゴルにも分配され、約1万2000人の捕虜が強制労働に従事させられた。
モンゴル人民共和国の独立が国際的に認められたのは、モンゴル人民共和国が内モンゴルの領有権の主張を取り下げた1945年2月のヤルタ協定においてである。1961年には国際連合に加入し、日本とも1972年に外交関係を樹立した。モンゴル人民共和国は長らくソ連の衛星国として共産圏の中にあったが、1989年のペレストロイカの影響で民主化が始まり、1990年3月には複数政党制を採用し、1991年12月にソ連が崩壊すると、1992年1月に新憲法を採択して社会主義を放棄し、2月には国名をモンゴル国に改めた。





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